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真間の井
 市川市真間は市川に隣接し、京成真間駅から真間川にかけての地域である。もともとは路地が多かったが、住宅開発も盛んで、今はその面影が残る程度になってしまった。
 ちなみに、「真間(まま)」とは古語あるいはアイヌ語で「がけ」をさす言葉といわれ、国府台台地の急斜面に由来するとみられる。
(2) 真  間

  
                                














                                 

 真間一丁目  

市川市真間1丁目は京成市川真間駅を中心とした地域である。
上の地図にもあるように初期の市街が形づくられた場所で、したがって複雑にいりくんだ路地が今も伝えられている。
しかし、2つの駅(JR市川駅、京成真間駅)に近く、開発も盛んで、もっとも変化を受けている場所ともいえる。

                       

 <道の名称と概要>

 ここでは真間一丁目の複雑な路地を説明するのに、上記の図の道の出入り口に番号を@からHまでふり、その路地のようすを見てゆくこととする。
しかし、網の目のように張り巡らされた路地は、現在の道路のように計画的に結ばれているわけではないので、その本筋を見ておかないと、なかなか整理がつかない。
 そこでここでは、昭和7年の地形図にも記載されている、上から斜め右に下るA〜@の道(これを「Aの道」)と市川真間駅付近から斜め右上に通じているE〜@(これをEの道)の二筋の道を基本にすえ、その間に介在するBから右にジグザグに走り、先のAあるいはEにつながっている「横の道」という、整理をして、順次その道をたどっていきたい。
 Fの道は、以上のABEに対してまずHからの道を横切り、さらにEの道を横切り、Aの道に達する縦の道といえる。

以上のABEFに比して、GHからの道は大きな邸宅や料亭などがあった場所で、路地においては見るべき点が少ない。そのため、副次的に目を引く場所について触れることとした。

CとDからの路地はかってはBの道とつながっていたが、現在は袋小路になっており、別に「防犯灯第46号のある路地」としてふれた。


 <@からAへ:板塀の道>

     

左に防火水槽のマンホール、中央に三階建てのアパート、その両脇にAとEの道を従えている。ここでは右のAの道を行く


       

  入り口からしばらくは広い道が続く                 やがて、曲がり角が続くこの道で一番狭いところを通る


         

  再び、道は両側がセットバックで広くなるが・・・          また狭い路地が長い板塀沿いに続き、バス通りに出る


 <@からEへ:駅への道>

 @からEへの道は、駅に通じる道という意味でここでは「駅への道」と名づけておく。

       

  真っ直ぐな6m道路が続く、周りは広い家が多い         やがてFから来る道路と交差する。路地の世界が始まる。


        

  道は少し上り坂になり、左に曲線を描きながら続く       その後は右に曲がりながらこの道で最も狭い部分を過ぎる


       

  左に大谷石の塀が続く、道幅は2m足らずだろうか    その塀が尽きると道幅が少し広くなり、やがて駅のホームが見えてくる

*今は、駅にさえぎられているが、本来の道はその向こうに続いている。


 <Bから始まる路地:横の道>

  

真間駅前通りから入り口付近、まだ路地の面影が残っている。真っ直ぐ行くと行き止まりだが、その手前に右に折れる細い道がある。
左に古い、今は空き家の木造住宅。その先にさらに狭い道がある。


  

今は廃屋の住宅、その先、右に旧式防犯灯  さびついたアパートと暗い路地を通り  フェンスの先で明るい三叉路に出る


         

  三叉路を左に折れた路地の雰囲気の残る道        真っ直ぐに行くと真新しい住宅街、その裏に駅への道が通っている



 <Fから路地の中心へ:縦の道>

          

    縦の道の入り口のある真間駅横の踏み切り            道は少し行くと下り坂になっている  
        

         

    古い民家の脇を下る道、もともと広かったようだ        最初の四つ角、ここから道は狭くなる


   
 
家の門柱の表示(大砂原)     駅への道との交差点を真っ直ぐに行く        左に古くからの家、右に新しい家が      

  

この道の最も狭い部分        (反対側から見ると)                その先はさらに広くなって板塀の道に合流




 <横の道と板塀の道をつなぐジグザクの道

  

横の道から駅への道に出る途中で左に折れる 正面を右に折れると細い道が現われる  そのすぐ先にまた左に折れる道が


  

ジグザグを抜けると、また道が広くなる。三叉路があり、その角の植え込みが路地の雰囲気を伝えている。この先は板塀の道に出る



 
 <防犯灯第46号のある路地>


京成真間駅階段のすぐ近くに、路地の入り口がありました。

  

入り口から続く、ジグザクの道を道なりに行くと、昔ながらの一軒家のある角に出ます。その前の道をさらに進みます。


        
 
すると、少し広い所に出ます。                その奥の右にさらに路地がある     路地はジグザクに続きます


  

塀の影に防犯灯があった     路地はさらに奥へと延び、やがて行き止まる      (今来た路地を振り返る)




 <真間の路地点景>

真間の路地を歩いていて、ふと気づいた場面を集めてみました。

    


        


     




 <庚申塚>

道標の道    道標2                                                     

           京成真間踏切への道の脇にある庚申文字塔、みざる、いわざる、きかざる、が下に
   

京成真間踏切脇の抜け道横にぽつんと庚申塚がある。
道標ではなく文字が刻まれ、上部には日輪月輪が、下部には、みざる、いわざる、きかざるが、側面に文政元年の年号と市川四丁目講中の文字。



 真間丁目

真間山弘法寺に通ずる真間大門通りを中心に広がる地域が真間2丁目で、門前町の歴史が随所に感じられる。

 <真間通りと大門通りの古い商店>

大門通り    肉屋    真間とおり

 歴史をしのばせる真間大門通り          閉店した肉屋さん(左)とクスリ屋さん(昭和初期の看板建築) 


巻き上げ機     廃屋緑      廃屋入り口

 なつかしいテント巻上機
                 大門通りの閉店したもと理容店と玄関

               ドアひく           テープの玄関タイル                

               理容店「ひく」の文字が刻まれたドアと緑と白のタイルが美しい
玄関の床



 <横町の第31号のある路地>
         スバルの道            

                   真間大門通りの路地入り口と途中にある第31号



 <セットバックのある路地>

         真間大門通りから            せっとバック    
               
                   路地入り口と路地にあるセットバック用地

しかしこの路地にも開発の波は押し寄せている。今はわずかだが、このセットバックの部分が将来の道路の一部分となる。




 <防犯灯の集まる昔のままの路地>


    

大通りから一歩はいると防犯灯2号が迎えてくれる 右に折れると土の道が続く      その先で横から道が合流する


         

  その先に防犯灯第4号が道の角にある    そのまま行くと、あまり人も通らないのか苔むした砂利道が続く


      

防犯灯第2号の先の真っ直ぐな道を行くと・・・     やがてトタンの塀に沿って、真っ直ぐに続く狭い路地に出る


    

トタンの塀の路地を出た所に防犯灯第7号がある。  その路地の突き当りの角に防犯灯第11号がある。


                                     
                         
                    
          防犯灯第11号から今きた道を振り返る         最初の第2号の角を左に折れた路地




 <第60号の隠された路地>

      

 まだまだ砂利道も残されている        その路地の先に旧式防犯灯60号がぽつんと塀の陰にあった





                         

                    路地を歩いていて名車スバル360を見つけた                         



 真間三丁目

真間三丁目は京成真間駅に近い、比較的広い住宅が路地によって結ばれている。


                     

                     路地から少し入るとここが駅の近くと思えない風景がある



 <静かな路地の佇まいと開発>

真間3の路地       門まま3
 
           
路地の面影:踏み石と砂利道                      黒塀のある昔の路地の佇まい


      

           板塀と砂利道の路地                    低いコンクリートの門

まま3路地だけ    路地だけ3   ぽいすて禁止

この先、道があるのだろうか、路地だけがむき出しになって残されている(06年)   「ポイ捨て禁止」の表示                     



 真間四丁目

 真間山弘法寺から真間川にかけての地域をしめるのが真間四丁目である。その町は弘法寺真間山のふもとに広がって、旧跡も多い。

  

        明治末頃(左)と昭和30年代と思われるつぎはしの様子(道草亭ぺんぺん草氏所蔵絵葉書より)
                                      
*国府台・真間付近の家庭に電灯がともったは明治44年(1911)、市川に水道が引かれたのは大正11年(1922)、ガスは大正15年(1926)。


 <弘法寺の路地と古屋>

      

  弘法寺脇の細い坂道 その先にぽつんと旧式防犯灯が現役で・・・       弘法寺裏幼稚園わきの小道


       
 
       
弘法寺山門前の古屋                    その庭先に井戸とタイル貼りの流しが残されている




 <井戸と畑のある路地>

 
 真間4丁目は台地のふもとで、真間の井をはじめとして、井戸が多い

  

表通りを歩くと、側溝が御影石で出来ているところがあった。近所の人によると、この石は以前、通りの真ん中に二列で敷かれていた。
それが払い下げられて側溝の蓋などに使われている。この表通りを中心にあちこちに井戸跡が見つかった。


        

  通りに面した化粧品屋さんの裏庭に、家庭菜園があった   その向かいの家の庭に最近まで使われていた井戸があった


       

   今は駐車場になった場所の片隅に井戸がある        最近まで使われていたようで、原型がほぼ残されている



 真間五丁目

 五丁目は市川駅からみると、真間山の裏側のふもとに広がっていて、その道は坂道が多く、曲がりくねっている。
もともとは狭い路地だったが、今では大半は車が通れる道になっている。

 <坂道の風景>

      

真間山を下る途中の交差点         左に下り坂、右に上り坂            交差点の角の郵便ポス


      

真間山の裏門へ続く坂の入口(06年)    残された路地の一部            ホーロー引きの住居表示板



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