三本松とその周辺

「市川名所三本松」(道草亭ぺんぺん草さん所蔵、市川水月堂発行)
明治後期から大正初期にかけてと思われる三本松。周りが立派な石垣で築かれ、祠もあり、大事にされていたことが分かる。
街道に面した家屋は、茶店や商店だろうか。着物の子供や制服を着た人(巡査?)の姿も見える。のどかな風景である。
*水月堂は最初市川一丁目の松戸街道沿いにあり、その後市川小学校近くに移ったとのことであるが、現在は不明


1) 昭和初年の三本松 2) 昭和30年頃の三本松
左は車が通るようになり、商店が並ぶ昭和初期の三本松。松は通行が増えるにしたがって枯れ始め、昭和10年(1935)についに自動車の通行の妨げになるとして取り除かれてしまった。
右は二本になってしまったが、堂々と天に向かって聳え立つ松の姿。この光景も街道の拡張に伴って昭和33年(1958)に行われた伐採で、ニ度と目にすることができなくなってしまった。(なお、この松の伐採については、その関係者が伐採後に不審な死をとげたことがあった、との話が伝えられている)
* 1)2)の写真は市立市川歴史博物館発行の「市川市が誕生したころ」より


旧洋裁学校 消滅した旧洋裁学校の建物 (2006/5/4)
三本松の石碑から駅向かって小さな通りを歩くと、洋風のどことなくしゃれた古びた建物がある(今は現存しない)。最初洋裁学校があったらしい。その後,、家具屋、米屋などをへて、リサイクルショップにて2006年1月30日をもって建物閉鎖。建物の由来を物語るなごり(「家具」「ムラセ洋裁研究所」などの文字)が上部にかすかに認められる。 (2006/3/31)
5月の連休に訪れてみると、建物はすっかり姿を消していた。かっての場所を緑のシートがかこってあり、そこだけ砂利になっていた。
市川マーケット

市川町鳥瞰図」(市川駅前の部分)
市川に住むようになって市内を散策すると、この街が歴史的、文化的にもさまざまな面をあわせもつ実に興味深い場所であることが分かった。その中でもこの三本松のマーケットが、全体が一つのようでもあり、別々のようでもあり、屋内でありながら、屋外でもある、不思議な場所として深く印象に残った。
筆者は最初、この建物の名前を知らなかったが、たまたま市川歴史博物館を訪れたところ、そこに展示してあった昭和3年(1928)発行の松井天山の描いた「市川町鳥瞰図」に、同じ場所と思われるところに、「市川マーケット」という表示の建物が記されてあった。
その外見は今の中央部分の通路の天井が見当たらないことを除けば建物の配置も同じで、おそらく通路の天井は「鳥瞰図」ができた後で取り付けられたと思われる。そこでここではこの建物を「市川マーケット」(以下「マーケット」と略す)と呼ぶこととしたい。
建物は市川駅北口徒歩5分の千葉街道に面してある。ここでは千葉街道よりの部分を正面(表口)、駅寄りの部分を裏側(裏口)とよび、左右は正面からみた場合をさすものとする。
* このマーケットはその後、2008年5月に取り壊されました。この記事のおわりにその顛末が記されています。
<外 観>

1)入り口脇の歳末風景 2)正面全景
07年の最後の正月を迎えたマーケット正面、すでに右側の携帯電話の店は閉店している。なお本来のコンクリート部分(右の三久庵の看板のあるところまで)に接して右側にモルタルの2階建ての建物(現在閉鎖中)が付属し、さらに木造の小さな小屋(おでんの看板あり)がある。これはこの建物の一部と考えてよいのだろうか。かってのマーケットの繁栄がしのばれる。

3)正面左 4)通路入り口 5)建物右端の甘味処うえの出店?
3) 建物正面は一つのビルのように見えるが、側面を見ると別々の建物の集まりであることが分かる。
4) 建物正面中央に通路入り口がある。上部がアーチ状になっていて、重々しい雰囲気がある。
またその内部はクリーム色に塗られていて明るい感じがする。この建物の一番目を引く部分がこの通路である。
おそらくバス停の位置からして、バスを降りた乗客がこの通路を抜けて市川駅に向かったのではないだろうか。
5)建物右側は隣の野村證券の近代的ビルとは対照的で、ケータイ電話の店のとなりの小屋らしき処に「おでん」の看板がある。
これはケータイの店の奥にある甘味処「うえの」の出店のようで、その勝手口から延びているようである。

6)裏側全景 7)裏側出口
6) 裏側から見たマーケットの建物は正面とは全く様子が異なり、三つの別々の建物が並んでいるようにみえる。右は食堂。左は床屋さん、その間に木に隠れて見にくいが屋根のついた小屋らしきもの、その下には通路裏口が見うけられる。なお、食堂の奥に見える白い建物の一階は駐車場になっている
7) これが近くで見た裏口付近である。床屋さんと食堂にはさまれ、少し引っ込んだ2階部分に小さな建物がのっているように見える。ガラス窓もあり、中はどのようになっているのだろうか。
8) ひさご亭から見る 9) 真ん中の駐車場 10)緑の建物が三久庵
8〜10)マーケットの左側は道路に面して、ひさご亭、時間貸しの駐車場、三久庵、が接して並んでいる。
なお時間貸駐車場の建物には、手前がバー「花」、その奥が料理屋「てんゆう」が入っていた。
<通路入口から>
11) 入り口付近の通路 12)入り口から中央にかけて 13)かっての料亭「てんゆう」の案内
11)画面上に入り口とおなじアーチが見える。左の緑色部分の建物がおそば屋さんの建物。
この緑色の部分は手前のコンクリートの部分とつながって一体となっている。それに対して右側の部分はコンクリートのアーチの所で途切れている。
その奥にさまざまな商店、建物が並んでいる。天井は一部片側が透明な屋根板に覆われ、屋内のようでもあり、屋外のようでもある不思議な空間が生まれている。
12)上部には明り採りの天井があるが、通りの雰囲気はほとんど屋外と変わらない。通路は舗装がすり減って地面がのぞいていたりする。左アルミの入り口は料亭「てんゆう」の裏口
二階のお座敷には「てんゆう」の粋な芸者さんが盛んに出入りして、大いに賑わった、とのことである。なおこの1階部分は今は駐車場になっていて、昔日の面影は全くない。
13)はその裏口に掲げられた、「てんゆう」と書かれた案内板
14)手前から、美容室、八百屋、床屋さんの順 15)左上に物干し台
14)料亭跡の向かい側には、ニエダ美容室(閉店)や八百屋(一部営業)、床屋が軒を並べている。床屋さんは大正9年にここで開業されたご主人が健在で、今も、お店の手入れや接客に余念がない(07-9)。
15)出口上部は外から見ると、あたかも窓のある部屋のように見える。しかし実は一枚の壁である。
なお正面に見えるのはびわの木である。その向こうの、今は駐車場になっている場所は、昔はお風呂屋さんがあり、夕方になると駅近くの運送業の男らがふんどし姿で風呂につかりにくるなど、ずいぶんと活気があったらしい。
<通路裏口から>
16)裏口付近の通路左側、手前床屋さん 17)八百屋さん 18) 元ニエダ美容院 居酒屋
14)裏口からみた通路の様子、閉まっている店も多い。
手前に床屋さん、八百屋さん、その奥は元ニエダ美容院、さらに居酒屋、甘味どころ「うえだ」が並んでいる。
右上部の斜めの部分は裏側の通路上部の窓のある建物のようにみえる壁につながっている。通路奥には入り口のアーチが見える。
15)中央部は通路が狭くなって、暗い雰囲気がただよっている。左の美容院はいつもシャーターが降りている。入り口の看板が闇の中に見える。
16)入り口上部にそば屋さんの看板がある。ここのマーケットの利用者なのか、自転車がたくさんおいてある。外の世界がまぶしく感じられる。
19) 通路中央部 20)高級クラブの入口跡(レンガ部分)
通路中央部で目立つのは、トタン板で覆われた張り出し部分である。今は自転車やダンボール箱などが雑然と置かれているが、かっては立派な料理屋や格式の高いクラブなどがあった。今の姿からはとても想像できない。
21)時代を物語るクラブ「花」の求人張り紙(男子カウンターとコンパニオン) 22)クラブ「花」の軒下に旅館の看板
<天井と地面>
23)裏口付近、右は物干し台 24)歴史を物語るすり減った路面
23)通路は建物の間にさしわたされた天井で覆われている。天井はその中央が透明になっていて、明かりがとれるようになっている。出口付近には物干し台もある(右)。
24)通路の地面はそこを通った、たくさんの人の足跡がきざまれている。削られては補修し、それがいったい幾度くりかえされたのだろうか。じっと見つめていると、遠い時代の下駄の音が聞こえてくるようだ。
25)入り口近くの空中部屋 入り口付近(上部の窓は三久庵)
25)入り口付近の上部は建物の2階部分が覆っている。その部屋には窓があり、天井からの光が部屋を明るくしている。
三久庵の2階食堂の窓から見た通路と遠くのビル(窓の外を通路の屋根が真ん中で横切っている)
*なお通路中央には工事のため、立ち入り禁止の仕切りが置かれている:取り壊し直前の08年三月末)
<三久庵の屋上から>
取り壊しも間じかの08年3月末、三久庵のご主人の好意で屋上に上らせていただき、貴重な景色を写真に収めることができました。
なお、屋上はL字の形をしています。



二階に上がる立派な階段 二階の窓からみた大通り 二階から屋上へ出る階段


階段を上ると屋上に出られる ビルに囲まれた屋上とその入り口



通路の左側(てんゆう、花、ひさご亭) つぎはぎの通路の屋根 通路右側(一番奥にイケダ理容店)


通路左側(外側からみると同じ建物のように見える) 通路右側(全く別の建物であることが分かる)
<マーケットを俯瞰する>


<マーケットの裏側路地>
マーケットを訪れていると、細かいところにも目がいくようになり、いろいろ気になるところが出てくる。たぶんそれはマーケットが計画的にできたのではなく、その時その時の必要に応じて発展し、変貌を遂げてきたことによるのだろう。
26)防犯灯第29号 27)マーケット裏側の路地 28)防犯灯第28号
26)今ではあまり見かけない、木の防犯灯第29号が繁華街の真ん中、床屋さんの脇にあった。
27)マーケット裏側に接する路地、いろいろな物が置かれている。
28)防犯灯第28号、蛍光灯の前はどんな灯りだったのだろうか。
<懐かしいもの>
29) 風格を感じさせるサイン
店舗の両側、二ヶ所にしっかりと取り付けられた、鉄とガラスで出来た、おなじみの堂々たるサイン。耳を近づけると回転灯がまわる「ごーっ」と言う音が聞こえた。片方は力強い感じ、もう一方は優美で対照的。いくら見ても飽きない。
市川マーケット取り壊しの記録 <路地の現在> から *一部記事と重複しているものも有ります
市川マーケット跡地建築計画の告知(07・1・5)
前から聞いていた、市川マーケットの取り壊しと、新たなビルの建設開始が、市川マーケット入り口に張り出されました。
道行く人の中には、じっと見入っている人もいました。2年後には13階建てのビルが出来るそうです。
市川マーケット取り壊し計画のその後(07/7/10)
7月になってもまだ市川マーケットの様子に変化はない。それまであった「建築計画のお知らせ」はとうとう取り外され、代わりに「営業中」の看板が出ていた。右の写真は今では見ることも造ることも難しい、三久庵の板金でできたみごとな文字

市川マーケット跡地、都市再開発事業がいよいよ実施へ(08-3-3)
昨年の1月に告示が出されたまま、一向に進まなかった再開発計画がいよいよ近く実施の運びになったようです。
すでにマーケットのお店は閉じられ、この日は荷物の運び出しが三久庵などで行われていました。


三久庵前に並べられた「ご自由にどうぞ」の品物 店内整理中の甘味処「うえの」



三久庵の一時閉店のお知らせ パナモ市川北口店移転のお知らせ 理髪店イケダ、こちらは閉店
<昭和の優美な床屋さんのサインが市川市歴史博物館に寄贈されました> (08-3-7)
いよいよ3月末をもって取り壊されることになった市川マーケット、あわだたしく引越しの準備が進んでいる。その中で・・・・・


優美な姿のサイン サインを取り外した跡 梱包されたサイン
個人的に気になっていた、市川マーケット内のイケダ理髪店の貴重なガラスでできたサインの1つが、市川市歴史博物館に寄贈されました。
近々取り壊されるところだったので、ほっと一安心です。なおもう一つのサインは奇特な方に引き取られたとのことでした。
<市川マーケット、通路閉鎖> 08-3-26
取り壊される前の通路の様子とマーケット出口の中央に立つ、マーケットの八百屋さんが埋めた種が実ったびわの木
*昔は、このびわの木のところに銭湯(松の湯)の入り口があった。
市川マーケット完全閉鎖前の建物からの眺め 08-4-1
ビニールシートなどで閉鎖されていた市川マーケットですが、しっかりした板で塞ぐ工事の準備が始まってました。
これで完全に立ち入りは出来なくなりそうです。ただ特にお願いして、てんゆうとイケダ理容店の中に入れてもらいました。
<てんゆう3階からの眺め>
洋食屋さんだった頃がしのばれる「てんゆう」の2階 「てんゆう」の3階(和室)
「てんゆう」3階からみたマーケット通路部分 「てんゆう」の屋根
<イケダ理容店2階からの眺め>
建物と通路天井が一体となっていることが分かる
向かい側「ひさご亭」2階の物干し台 通路の窓から外を見る
通路の天井付近
<ついに解体開始 08-4-23>
今週から建物の周りにシートが掛けられ、解体が近いと思われていた市川マーケットですが、ついに08年4月23日にその解体が始まった。
以下はたまたま、午後1時過ぎに現場を通りかかり、写真に収めた最後のマーケットの姿である。
すでにひさご亭は一部を残して姿を消している イケダ理容店の二階の屋根が剥がされるところ
隣のビルに接する壁が引きちぎられる 奥の建物と天井がむき出しになっている
<三久庵の取り壊し>
5月2日 5月9日
いよいよ脇の木造部分と共に三久庵の取り壊しが開始された 連休明けについにすべての建物が姿を消した
特 別 編
市川マーケットのような建物というか場所は、特に大都市の繁華街の裏などを探すと、まだまだあるようです。
ここでは、それらを仮に「屋根付き路地」と名づけてご紹介します。
1 天王寺(大阪)付近の屋根付き路地
ここの屋根付き路地は横丁が2本あり、その端に縦に一本の路地が通って、T字の形になっています。
加えて、二本の路地にはさらにそれをつなぐ短い通路が3本通っています。
お店の種類は、半分が飲み屋さん、あとがお菓子屋さん、八百屋さん、パチンコ店などです。
天井の構造は、通りができてから、通りにあわせて簡易にできたようで、両側のお店の屋根を借りて造ってあるようです。
そのため、用いられているのは、トタン板や、細い鉄材、テント布などで、屋根の中央部が晴天では開くようになっています。
でも、ひさしの部分がかなり出ているので、昼間でも薄暗く、電気がともってます。
ではその独特の世界をご覧ください。
1) 路地の入り口にあたる通路



路地を裏から入る。入り口上の半円形の軒が傾いているが、これは実物が傾いている。
少し進むと、ろばた焼きのある最初の角があり、さらに進むと、軽食店のある次の角がある。その先は大通りである。
2) 最初の通路



入り口の両側には飲み屋さん、その天井は細い梁が複雑に入り組んでいる。ここだけみるとまるでSFの世界である。
通路に入ると、右手にシートをかけられたお店(閉鎖中?)、左にはお菓子屋さんがしばらく続く。


通路の中ほど、「公衆トイレ」の看板が突き出ている。屋根の形も不ぞろいで、道も曲がり、だんだんと路地の雰囲気が濃くなる。

最初の通路の出口付近、奥に大通りが見える。乾物屋さんや、洋食のお店があり、元の世界に近づく。
なお、天井からおそらくテントを開閉するための紐が、くもの巣のような垂れ下がっている。
3) 二番目の通路


最初の通路のところどころに、二つの通路を結ぶ、通り道がある。そこを抜けると、また別の大きな通路が左右に広がる。
二番目の通路は食品店が多い、どこも通路の半分くらいを占めている。夜になると、たたむので支障はないのかもしれない。



テントを閉めているところと、開けているところがある。まちまちで判断しているようだ。
通路の中ほどに、公衆トイレがある。中は反対側と通じているようだ。出口は屋根の高さに合わせるためか、奇妙な形になっている。
4) 細 部


お店はどこも品物を通路にあふれるばかりに並べている。一体、どのくらいの数があるのだろうか。管理するだけでも大変なように思える。