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                       路 地 惜 別 の 譜   


               私たちの身近にあって、私たちが日々歩いた路地

             その路地が今や私たちの前から姿を消そうとしている

             その愛すべき人々と道との結びつきは、今どこにあるのだろうか

             しかし、路地はまだその面影を捨て去ったわけではない

             まだ訪ねれば、路地は私たちになつかしい昔の事を語ってくれる


                   ごめんなさい、どうぞどうぞ、お通りください、と路地のこころを伝えてくれる


 1 建築基準法と路地

 今、市川から路地が急速に姿を消しています。今まで見慣れた風景があっという間に変わって、新しくなっています。それがいいのか悪いのかは一概にいうことは出来ないとしても、その大きな変化の源には、戦後出来た建築基準法があります。制度というものの影響の大きさを、私は路地の変化を見るにつけ、しみじみと実感せずにはいられません



         

           
その先に路地がある                    路地の奥に新しい家が建つと・・・

「道路」 とは、 次の各号の一に該当する幅員4メートル(特定行政庁がその地方の気候若しくは風土の特殊性又は土地の状況により必要と認めて都市計画地方審議会の議を経て指定する区域内においては、6メートル。次項及び第3項において同じ。)以上のものをいう」(建築基準法42条:敷地等と道路の関係):道路法(昭和27年法律第180号)

「建築物の敷地は、
道路(次に掲げるものを除く。次条第1項を除き、以下同じ。)に2メートル以上接しなければならない。ただし、建築物の周囲に広い空地があり、その他これと同様の状況にある場合で安全上支障がないときは、この限りでない」(建築基準法43条:敷地等と道路の関係):都市計画法、土地区画整理法(昭和29年法律第119号)


 2 失われ行く路地


           人々が、道路をめぐらし、塀を建て始めた時から、路地は失われていった

                   

 いろいろな路地をまわると、私有地としての路地とその公共的性格にまつわるさまざまな関わりが見えてくる。

 言い換えれば、そこに住む人の意識・考え方というものが、さまざまな路地のあり方に映し出されている。
路地はその私的性格と公共性の、現代における微妙な関係の境界にある。その境目にあって、路地は今、大きく揺れ動いている。
 ただ言えることは、お互いの譲り合いの心に支えられてきた路地は、今や個人の私有物として姿を消しつつある、という事実である。

 路地が失われる原因
 一つは私有地であることからくる権利の主張であり、1)建物がふさぐ、というのが最も一般的である。
他方は、いわゆるセットバックによって2)道幅が拡張され、車が通る道路になってしまった場合である。
この場合は道は残されているが、路地ということはできない(路地の雑記帳・路地のほろびたとき 参照)。

また、狭い道が残された場合でも、両脇に塀が造られ、完全に道が限られてしまった場合は、一応道幅からして路地、ということはできる。
しかし、塀に囲まれた路地は歩いていて、圧迫感もあり、あまり気持ちよいものではない。

従って、より路地度が濃いとは:道幅が狭いだけでなく、塀などで閉ざされていないか(塀が無いか低い生垣が望ましい)、道が自由に通じ合っているか、など道を共有し開放する気持ちの有無や程度が考慮されなければならない。


 <閉ざされた路地>

          

ここにはスーパーがあったが閉店し、敷地はフェンスで囲まれてしまった。そのフェンスの中に、かって路地があった(ブロックの部分)。
そのなごりは市川市の文字のはいった「歩行禁煙」などの表示にうかがうことができる。


                 

     それまで通ることができた脇道が閉鎖された。もう路地が残される時代では無くなったのだろうか。


            

           扉をつけて立ち入りを禁止された路地と開放されている別の路地


  一人がやっと          

  離れた路地を結ぶ一人がやっと通れる隙間があったが、ブロックと塀でふさがれ、その姿を消した(07-12)


    

  路地ではありませんが道路に塀が            その塀の角に「通り抜けお断り」の標示が


 <車止めの例>

     

簡単なポール、鉄パイプや柵、などで車の通り抜けを防いでいる。(中)はコンクリートの頑丈な杭を道路に埋め込んでいる。

                               
 <さまざまな看板>

いづれも、私有地(私道)であるこを明示したうえで、さまざまな対応が記されている。全面的に禁ずる、通り抜けを一定の制限のもとに認める、万一の場合だけ認める(マンションが建つまでは、駅へ抜ける路地を皆が利用していた。そこに大きな賃貸マンションが出来て、路地がふさがれてしまった。ただ、鉄の扉は袋小路の住民のために、万一の場合に限って、抜けられるようにはなっている)、など。

     

空き地の脇も私有地には違いない   通る人も感謝の気持ちを忘れずに       本当に緊急時は通れるのだろうか


 <完全消滅・駐車場など>

家も路地も、防犯灯も何もかもが消えている。こうなるともう手がかりも何も無い。
ただそこに行く通りの存在だけが、かってそこに何かがあったことを物語っている。

      

             駐輪場                                     駐車場   



         

        駐輪場の端にある道のふさがれた跡             外側からみた途切れた道(石畳が残っている)


 <完全消滅・区画整理>

路地と町並みが
一変してその面影が一掃される原因に区画整理がある。土地が更地になり、広い道路が碁盤の目に配置される。
もうかっての町は消え、完全に別の町になってしまう。

        

    広い道路の向こうに区画整理予定地が広がる             更地になった路地のあった場所


        

     区画整理の途上の道                           まだ路地のあった頃の家も残っているが・・・


 <残された路地>

新しい家ができたからといって、直ちに路地がなくなる、という訳ではない。
この例では古いアパートの軒先を借りていた路地が、新しい新築の個人住宅になっても残されている。

               

私道なので砂利道だが、人ひとりが楽に通れるスペースが確保されている。その上、路地の脇にはかわいらしい花が植えられている。
長年使われてきた路地を、自分の土地を割いて残してくれた家主のやさしさが伝わってくる。




 
3 路地の面影を求めて


 路地は今、刻々と時代の開発の波に飲み込まれ、その姿を変え、消滅の時を迎えつつある。新しい住宅地ができれば、もうそこには路地の片鱗すら見出しがたい。
 しかし、かっての路地のあった場所に立ち、目をこらすならばその名残を感じ取ることはできる。今はただ、そのわずかな路地の形見ともいうべきその跡をたどり、追憶することだけが私たちに残された最後の楽しみかもしれない。ここでは、その手がかりのいくつかをあげ、路地の昔をしのんでみたい。


                    

                    縁側の先が路地になっている


(1) 道幅と曲線

 <道幅:路地らしさの決め手>

道幅は路地の雰囲気をかもしだす重要な要素である。完全に道路(4m)になった道には路地の親密さは乏しい。
 昔、道路の拡張工事の計画が持ち上がった時、古老がこぞって反対した、という話を聞いた。
若者はそれを年寄りの頑迷と片付けて、広い道路をつくったが、出来てみると車がひっきりなしに通る道路のおかげで、もう以前のような近所つきあいはなくなり、人情もうすれてしまった、とのことだった。

       

    両側がセットバックされた4m道路               片側がセットバックされた3m道路


                 

          セットバックがされていない2m道路(車の通行困難)

               

                           歩くための昔のままの路地

           

                路地と生活の知恵(最新型アルミ製リアカー)

 <曲り角と曲線>

路地の多くは自然に出来た道だ、だから曲がったりゆるやかな弧を描いていることがある。


    


 <Y字形の三叉路>
 
 Y字形の三叉路は3つの道が対等に出会い、T字形の三叉路は1本の道に別の1本の道がつながっている。
路地では、それぞれの道は自由に結び合っているので、Y字形の三叉路が出来やすい。。


       

           三叉路                                三叉路の連続


(2) セットバックの跡

    

   出来たばかりの家と真新しい道の誕生         ここまでくると、もはや路地の面影をみることは難しい


    

   路地はずっと遠くに行ってしまった               三種類の道、昔の路地の様子がしのばれる


(3) 道の真ん中にある電柱など

もとは路地の縁などにあった電柱などが、道幅が拡げられたので、道の中に残ることがある

      

      道の中に立つ電柱                           そこに路地があった


(4) 私有地の中に残された防犯灯

もともと道の角や分かれ道に多く見られた防犯灯、しかし路地が囲まれると防犯灯も庭の中になってしまった。


        

   三叉路の角の中           塀の外と内の新旧の防犯灯の柱      塀の中の防犯灯


(5) 塀に隠れたマンホールや井戸など

隠されたマンホールや井戸はそこがかって共同で使われていた場所のしるしです。

 <マンホール> 

    

路地と私有地の境目になってしまったマンホール。移す事もままならないので、塀ができて半分がかくれてしまった。


    

路地が私有地になり、マンホールが塀の下に半分隠れてしまった、しかしセットバックでまた姿を現すのだろうか


 <井戸>

        
 
 皆で使っていた道端の井戸、しかし塀ができ、ブロックで囲まれ、井戸だけが取り残されてしまった。


       

 草花の豊かな路地の一角に井戸だけが塀の外にあった。昔、皆で使った井戸への思いが伝わる。


(6) 塀と植木

 路地には塀が無かったこともあるし、あっても簡単な目隠し程度がほとんどである。また植木も多く見られた。
だから塀や植木のようすから路地の面影をたどることもできる。

 <間に合わせの塀>

       

左の古くからの住宅と右の真新しい住宅。その違いは人を寄せ付けない塀と間に合わせの塀、との違いだろうか。


 <植木>

植木は通りに潤いを与え、また目隠しにもなる。地域の人が植木を出し合って路地を飾っている。路地に植木はつきもののようだ。

  

庭木がセットバックでとられてしまったが、残された木への思いは断ち切れない。


     

     路地の雰囲気を残す庭先の草木            路地が道路になっても、草木が無いと何かさみしい



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